いぬの想い出
わたしは犬好き。いえ、動物好き。
山育ちのせいか、生き物にとても興味があり
野ネズミや烏も共に生きてる動物なのだと、何でもめんこいなあ(かわいいって意味よ)と思ってしまいます。
動物の中でも犬がとりわけすき。
実家で飼っていた犬がこの世を去ってからはや8年が経とうとしています。
いつもそこに居てくれたパル。
家族にとっても大きな存在であったことはいうまでもありません。
時々思い出して、パルの魂は今どこへ旅してるんだろう・・・と想像しつつ
一緒に過ごせた17年を感謝せずにはいられません。
また、たくさんの悔いもあります。
もっと遊んであげればよかったとか
もっと大事に飼えばよかったとか・・・
今まで飼ってきた犬たちのことも記憶が蘇り
人間て、自分てなんて勝手なんだと反省する時間にかわったり。
デスクの前にはカレンダーを切り取ったポメラニアンが二匹。
8月はポメラニアンで、9月に変わったとき捨てられなかったんですが。。
昨日のね、ほぼ日の今日のダーリンでこんなことが書いてあったんです。(記憶をたどりながら書きますね)
良きときも悪しきときも
富めるときも貧しきときも
病めるときも健やかなるときも
死がふたりを分かつまで
愛し慈しみ守ることをここに誓います
これは教会挙式の時に新郎新婦の誓いのことばなのですが
まさに犬は人に対して無償の愛でそばにいてくれていると。
糸井重里さんの今日のダーリンでエッセイが掲載されていました。
(ほぼ日イトイ新聞今日のダーリンにバックナンバーはありません。毎日更新で寝る前にみた記憶からこんな感じだったかと)
はっとしました。
そうだった。
いつもそばに居てくれ
ときに慰めてくれ、敬い、愛され
思い出した歴代の犬たち。
鼻の奥がツーンとして
もっと愛せばよかったと
後悔の念でいっぱいでした。
犬を飼ってらっしゃる皆さんは
どんな想いで飼ってるんだろう。
そして旅立っていった子たちをどんな風に記憶にとどめているのだろうと
ふと思い立ち
ブログに書いてしまいました。
先日車で見かけた犬は日影のないアスファルトの家の側に小屋があり
鎖は1m程しかなく
ブラシもかけてなくボロボロで、この日はとても暑い日で熱中症にならないのかと切なくなってしまいました。
あの子は愛されているだろうか。
なにも出来ない自分がいて
やるせない気持ちです。
この子は叔母が飼ってるびっち君。
しあわせな子。
いつものテンションと違うブログになってしまったけど
雨が降っているせいにしよう。
いぬのえいが秋の夜長ぜひ観て下さい。